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想い出話 2025/09/19(僕が好きだったのはEF65形PF形だった)

またまた非鉄な人には分からない話をして申し訳ないです。


まあ、なんというか、僕の人生、生まれてから40数年。大きな古時計じゃないですけど、ずっと現役で今でも走っている鉄道車両って、案外少ないです。ある程度延命工事をしたところで、長くて50年。地方私鉄なんかでは100年近く走ってる業務用車両もありますけど、それもロストテクノロジーの世界であって、一度壊れたらもう終わりという世界です。
例えば自動車の世界。トヨタ2000GTにハイブリッドエンジンを積んだ試作車なんてものが出たりしていますけど、トヨタだから出来る芸当であり、ヤマハのエンジンが載ってない時点でそれは2000GTなのか?という人もいるかもしれません。でも、実際に走るだけですごいんですね。

最近国から発表がありましたけど、2035年ぐらいまでに大手鉄道会社に対して、VVVFインバータ制御の初期に当たるGTOサイリスタ制御車は置き換えを推進してくださいという話がでています。ちょい前に211系電車の話をしましたけど、当然置き換え対象。211系はまだ譲渡車が出たんで、もう20年ぐらいは延命しそうです。
一方で、あんなにたくさん走っていたのに、全く見なくなった電気機関車があります。それが今回のEF65という電気機関車です。

Wikiさんが説明してくれてるので省略しますけど、僕の実家は宇都宮線沿線であり、EF65形なんてその昔は腐る程見かけた、ある意味ごく普通の機関車でした。実際、今回取り上げるEF65形1000番台、PF形と呼ばれる前面に貫通扉を持った機関車は、僕の生まれた頃には、今は亡き宇都宮運転所に大量に所属しており、さらに東海道・山陽本線のブルートレインの花形として、まさに万能機、直流機関車の決定版みたいな存在でした。僕と同世代の機関車はEF64形1000番台なのですが、そちらは国鉄末期の製造だったこともあり、新形式を取り上げられ、仕方なくEF64形を名乗っているだけで、実際にはPF形よりも新しく、こちらも風前の灯となりながらも、まだまだ活躍中です。
そんなPF形の中で、とりわけ僕の中で失望した話があります。それは、寝台特急「北斗星」号の牽引機ではなかったということです。時代背景を軽く説明しないといけないので、ここからめんどくさい話が続きますけど、興味のある方はどうぞ。

1988年、青函トンネルの開通により、今で言う四季島やトワイライトエクスプレス瑞風、ななつ星in九州のような豪華寝台特急の走りと言われていたのが、この北斗星号です。と言っても、実はその前に日本最初のブルートレインだったあさかぜ号の博多行(車両的には3代目だったかな?)に連結されていた、1987年当時としてはハイグレードだった設備に一人用個室を追加したり、今や新幹線の名称となったはやぶさ号のロビーカーなどを連結した列車で、直前まで上野と青森を結んでいたブルートレインゆうづる号には一部の車両が先行投入されていました。CM撮影のために、北斗星のヘッドマークを着けたゆうづる号が走ったりと、なかなかおもしろい話だったのですが、ここで子どもの僕が考えたのが、どの区間でどの機関車が先頭になるか?という疑問でした。
今と違い、直流区間では直流機関車、交流区間では交流機関車、日本海側では北陸地方、及び新潟の先ぐらいから交流電化されていたため、徐々にEF81という交直流電気機関車が主力となるも、酒田機関区にはED75が大量に配置され、良くて大阪-酒田、ないしは秋田ぐらいまでがEF81のテリトリー。対してEF65は直流機関車のテリトリーならほぼ全域に入ったとされるだけあり、最盛期には、西は下関駅から、四国電化で高松・松山駅まで、東海道・山陽本線はもちろん、中央本線の多治見駅、伊豆急行線、東では鹿島、宇都宮線と呼ばれる地域の北限である黒磯駅、さらに補機がついたものの、上越国境を超え長岡駅へ定期運用(EF65形の違う型と共通運用とかだった記憶)があったという記録もあるほか、他社線として小田急への乗り入れ(一駅だけ)もあったり、たった1度だけではあるものの、本来は走行出来ないとされてきた中央本線の東側、甲府駅から臨時列車を牽引したことまであるという、非常に稀有な機関車となったのです。
しかし、この北斗星号は、上野-青森間をEF81で牽引するという、今では当たり前だけど、当時としては結構ショッキングな出来事が起こります。理由は単純で、機関車の付け替えを都合2回行わなければいけないため(青森駅、函館駅)と、ブルートレインとしてのゆうづる号が全廃され、寝台電車としては臨時で残ったものの、これにより常磐線の旅客機として使われてきたEF81が捻出できたため、晴れて抜擢されたというわけです。
当時の僕は、EF65形がさっそうと北斗星号を引いて黒磯駅まで走るものだと思っていたわけですけど、それが定期的になることはありませんでした。そう、定期的にはね。このバブル時代、北斗星号は増発された上、さらに今では考えられないとも言われそうな開放型寝台のみを連結した臨時列車エルム号、そして、最近引退したカシオペア号のプロトタイプとも言われる、次世代寝台車「夢空間」を連結した夢空間北斗星号と、最盛期には1日に東京近郊から片道5本もの寝台特急が北海道へ向かうという時代もありました。この臨時列車のほうに、EF65形は最初牽引機として充当されているため、北斗星のヘッドマークを着けたEF65形は実在しているものの、それを見ることは出来なかったというのが、実は結構心残りだったりしています。(なお、定期列車の車両故障などでヘッドマークなしの牽引は何度かあった模様)
ちなみに、この頃ヨーロッパより遠路はるばるオリエント急行の車両がユーラシア大陸を横断し、日本で運転されるという、今の世界情勢では考えられないことが起こったりしていて、これはダイヤがある程度小学校の下校後に通過していたため、何度かEF65形牽引のオリエント急行は見ています。そっちのほうがレアだったりするんでしょうけど、その時に車両の一般公開が品川駅の、今で言う常磐線の発着しているホームにベタ付けで行われていて、実際に乗ったことになるのかは分かりませんけど、中に入ったことはあるんですね。子どもの僕と、当時オリエント急行の名物車掌さんだったダニエルさんとのツーショット写真を撮っていたり。親には感謝しかないですね。

で、東北本線を走る寝台特急は、やがてEF81へ統一され、設定当初からEF65牽引で走っていたあけぼの号も確か1993年ごろにはEF81形牽引に変わっていたと思います。その裏で、東海道本線から遠く高松駅まで毎日寝台特急瀬戸号の牽引をしていたのが、旅客列車牽引の終盤だったと思われます。これも今はプラチナチケットと言われるサンライズ瀬戸・出雲への切り替え直前の話で、もう30年近く前。そりゃ、サンライズエクスプレス自体に後継車両の話がでてくるわけです。出雲号はその後も客車の寝台特急として残りましたが、2006年に廃止、最後の砦だった急行銀河号も2008年だかに廃止。
99年には、寝台特急カシオペア号が登場しますが、これは当然EF81形が牽引することになります。しかし、試運転などでEF65形が引いて宇都宮駅まで来たりしていたため、現実にこんなシーンを見てみたいなぁと思っていましたけど、ついぞその時は訪れることなく。のちのカシオペア紀行でEF64形が引いている姿を見て、EF65形は東海道のブルートレインが全盛期だったと感じました。そんな中、10年前にはなりますけど、トワイライトエクスプレス専用塗装のEF65形が登場して、トワイライトエクスプレスを牽引した時代があったというのは、さすがに目頭が熱くなりました。けど、見る余裕もなくトワイライトエクスプレスが引退となり、関西ではこの塗装のEF65が今でも時々走っているというのがまた面白いところです。

そうは言っても、貨物列車の牽引機と言えば、東北本線はEF65形の独壇場だったはずでしたが、これも1996年ぐらいから若干変わってきていて、それまで東海道本線専用に近かったEF66や、EF64も少し加わり、さらにEF210、極めつけはEH500の登場で、EH500は全盛期には関東から青函トンネルを抜け函館まで1両で牽引という凄まじい運用を多数持っていましたが、北海道新幹線開業により、青函トンネルから撤退。こうして、現在の宇都宮線の貨物列車の大半はEH500が青森からロングランすることが当たり前という時代。たまに宇都宮貨物ターミナル駅までの貨物列車にはEF210形が入る程度。このEF210形ですら、今でも製造されているものの、初期車は先程のGTOサイリスタ制御によるVVVFインバータ搭載機なので、あと10年で引退となるわけです。初期車は今年で27~8年程度。あれ?EF65よりたくさん作ってないか?それどころかEF210形をEF210形で置き換えるとかいう話すらありそう。

EF65形のPF形は、塗装バリエーションが非常に多く、JR貨物だけで4種類、JR東日本では真っ赤なEF65、そしてJR西日本のトワイライトエクスプレス塗装。特に国鉄末期に登場し、JR東日本に継承された真っ赤なEF65形、バブル全盛期の展望客車であった「スーパーエクスプレスレインボー」専用機として、車体にEF65と派手に書かれたEF65形は異色とも言えました。EF81形にも同じ塗装の車両がありました。こちらもここ1ヶ月で引退となったようです。鉄道模型で一番最初に買った機関車がこのEF65形のレインボー色で、まあ、もう手持ちにはないんですけど、机にケースに入れて飾っておくぐらいには好きでした。Zゲージで出てるから、今でもほしいなぁと思いつつ。最近、ディアゴスティーニからダイキャストモデルが出たらしいんですけど、知ってたら買ってた可能性すらある。(でもZゲージとほぼ同じ値段)

さて、最初にトヨタ2000GTの話をしましたけど、なんなら残すだけなら主制動機をVVVFインバータ方式に換装すれば、ガワだけでも走れるんじゃないかと思われるかもしれません。動力車操縦者資格として、電車を運転出来る人は、電気機関車を運転出来ることにはなっています。しかし、現実問題として、電車でGOのマスコンですらもう2世代前、今はワンハンドルマスコンというレバー式でブレーキとアクセルを操作する方式、それも世代が少しずつ変わってきています。乗務員からしたら、操作系統が統一されたほうがよほど楽であり、そろそろ機関車を運転できる運転手の定年も近い。機関車の運転にも訓練する時間が必要。ならば、EF65形と名乗る電車を新造するほうがよほど手っ取り早い。結果、JR東日本はE493系電車という機関車風の電車を作って、機関車の代わりに使うことになりました。これなら、電車を運転出来れば、機関車として使えるというわけです。実際、結構前から西武鉄道がそんなことになってたりしますしね。
そして、これは電車というより、電子機器、電子制御では当たり前の話なのですが、ロストテクノロジー化してしまい、当時の電子部品の製造が出来なくなることは、このブログの読者の方ならお分かりかと思います。毎度ネタに挙げますけど、PC-98やMS-DOSで制御している機械は日本の大手メーカーでもまだまだ存在しており、代替を進めている中で、同様の機能がないという話はよくあることです。それが機関車という巨大な電子機器であれば、メンテナンス出来る人間はごくわずか。製造中止されて久しい部品は、同じ廃車体から部品取り。2000年代の鉄道車両でもそんなことが起こっている時代ですから、延命すること自体に限りがあるということなのです。
純機械式の蒸気機関車が未だに走り続けられるのは、信号システムを除けば、電子機器による制御を必要としないからです。確かに見るには迫力もあるし、不思議と乗っていて、独特の匂いに風情を感じる。けど、僕はその世代の人間ではなく、動力近代化が完了したあとに生まれた人間です。ゆえ、蒸気機関車に興味があまりないのです。観光資源としての蒸気機関車はいいですけど、それが電気機関車やディーゼル機関車より数が多くなるというのは、極端な話だなと思いますね。

EF65形の保存機は数両が存在しますが、このPF形は1両のみ、一般には非公開となっています。おそらくはこのまま博物館などには収蔵されることなく、すべて解体処分されることになると思われます。一応、JR西日本で生き残ることにはなると思いますが、それも良くて数年です。また一つ、というとおかしいのですが、僕が長生きしすぎているような気がしてならないのです。でも、人間の寿命より機械の寿命のほうが短いのは、現在の先進国では当たり前の話。僕が幸せだと思うのは、その現役時代をしっかりと覚えているということ。今の迷惑な撮り鉄さん達には申し訳ないですけど、最盛期を知っているというのは、写真よりずっと強い想いとして焼き付くものです。その昔、たまたま小山駅で、廃止される前の急行八甲田号の停車シーン、先頭にはEF65形。これを見られた時代に生まれていたことは、何より幸せだと感じます。まあ、そんなことを言っても、115系にうんざりし、211系はカッコいいが乗り心地が変、E231系は後期車でも座席が硬い、E233系になってようやくまともになったというのを感じたりしているのも事実。こればっかりは、やっぱり長生きしないとわからないものですね。

よーしパパZゲージで買っちゃうぞ(これがおじさんだよなぁw


おしまい

by aru32to | 2025-09-19 21:05 | 想い出話 | Trackback | Comments(0)

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