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「秋葉原」「アキバ」はライターにとっての免罪符ではない。

もう、なんかここまで来ると何がなんだかよくわからないね。

記事の要点が見えない。
中国のモノづくりが進歩してるんです、っていうのと、昔はそういうのって秋葉原の裏通りで入手できましたよね、っていう話がごちゃごちゃになって、最終的に「秋葉原がアニメグッズの街になってる」という締めなんですよね。

先週も文句に付き合っていただきましたが、日刊工業新聞の記者、というか専門的なライターが本当に育たない世の中だなと思います。アフィブロガー上がりがそういうお手軽感覚で記事を書いている日本という国は、一体どうなっているんでしょうね。


昔、個人的な付き合いではありましたが、某食品系の新聞社の顧問の方とつるんでいたことがあったんですが、論文や記事を書く場合、PCのことは若い人に任せられても、問題の本質とか、中身とかは絶対に書かせることが出来ない、と話したことがありました。理由は、記者としての目線で人を採用できなくなってしまったから、と話していました。専門誌が休刊や廃刊となる理由は、売れ行き不振の他に、後継者不足や、世の中の視点が変化していることに追いつけないところなのかと思います。

ネット社会になって久しい世の中ですが、個人の記事レベルというものは、絶対的な情報量と、書き手のセンス、それと独特の言い回しが魅力となると思うんですよね。僕がここ数年で、記事のレベルが大変落ちてしまったと感じるメディアやblog、個人展開でありながら大変面白い内容を連発できるblogの差が激しくなってきて、文章力とか以前の「調べる力」が本当に低い。逆に言えば、電子辞書というものが=PCやワープロだったから、本当にその情報が正しいのかどうかを確認したくなる、そして浪費と。
何度もいいますけど、文章を書く力なんて毎日なんとなく眺めてる記事の要点をまとめるだけで、どんどんついていくものなのです。しかし、調べる力というものは、あらゆる情報に目を通した上で、ここが浮いているとか、そういう変化に目をつけられるかどうかというところから始まるものだと思っています。

身内の話で申し訳ないですが、僕の妹、この力が全くありませんでして、パケット残量がなくなったときにはどうすればいいか?という知識もなく、最適なデータ容量もわからず、ロギングもしない、結論だけいえば自分を取り巻く環境が全く理解できない状態でiPhoneを使っているわけです。結果、ものの30分で1GBを使い果たせるような人間が生まれているわけです。まあ、ドコモからしたら別に嬉しいんでしょうけどね。

と、内容がズレて来ているのですが。自分の生活圏すら掌握出来ていない人間が、面白い記事を書こうと思っているから、奇抜に見える反面、中身がよくわからないという話になるんでしょうね。



性格の悪い俺が記事を簡単にディスってみましょうか。
まず、スマホの小物を海外から仕入れて売っている店なんてありますかね?ジャングルか露店か、あるいは100円ショップか。個人的に思いつかないんですよね。で、アマゾンから「個人輸入」しているという訳のわからない言葉。Aliやギアべから買ってますとかならまああながち嘘でもないんでしょうけどね。
帳簿上の「廃棄」も、実際には商社へ譲渡、あるいは売却して、それを仕入れる業者が秋葉原には昔も今もあります。少なくとも過去形ではないですし、廃棄されることもありません。

中国では、その部品がどこ向けに、誰の所有物であるかというのが明確にわからないところもあり、1ロット盗まれてもあんまりダメージはありません。それでお金儲けができるレベルではないため、邪魔だから日本人に売りつけてしまえ、というのが正しいですね。原価は0、あるとすれば自分の人件費なんで、送料込で1個500円も取れれば、1ヶ月ぐらいは暮らせてしまうこともあるみたいです。

もうかれこれ20年近く前からPCなんて台湾や香港、中国本土がODMで作ってることを、この記者はまず知らないんだろうなって思うんですよね。で、GPD Pocketの話もカタログスペックをろくに調べていない。オマケに中華スマホが巨大化、超重量級になっていることも欠落していると。

今すぐクビにするべきじゃないかなと思うんですよね。もしくは原稿料を払う必要すらありません。
先週の自称ライターさんもそうでしたけで、ライターというものは好奇心と調査力がないと務まりません。まして専門的な記事や、ある程度のメディアを背負って立つような記者であれば、そのぐらい知ってるのが普通とも言えます。

プレジデント社や日刊工業新聞社のライターがこの程度かよって思われたくないなら、本当に調査力の高いライターを発掘してくるべきじゃないかなと思うんですよねえ。


「アキバ」「秋葉原」は知識を補う免罪符ではない。
これは大手新聞社でも、大手出版社でも見られる現象ではあるのですが、電車男以降の観光地化による、秋葉原というイメージの固定化が、2020年ごろにはピークになってしまうことが危惧されます。
知らない方はアニメの街で結構なんですけど、どうも、電気街→アニメ街というイメージ操作と、それに便乗して何を書いても問題ないという風潮が、ここ数週間のうちに簡単に論破される記事の量産になっていると思われるんですね。

いや、そもそも大手ニュースサイトが提携元から得ているニュースやコラムなので、その大本を作っている人たちが、いかにイメージを捻じ曲げようかという悪意のある宣伝記事という可能性もあるわけです。こうなると、真意は自分で確かめるしかない、というものが現実となってしまうわけですよね。

そして、アニメやゲームが好きでも、今の秋葉原についていけない、あるいは満足しない人がネガティブキャンペーンを行う場合、「秋葉原」というワードが絶大な力を持ってしまっているというのが、僕の見解です。
先週も書きましたけど、市場→倉庫街→問屋街→闇市→家電街→PC街→アニメ・ゲームの聖地という遍歴を知らない人たちが多すぎるゆえ、こういうネガティブキャンペーンもできるんでしょうけど、その記事の薄さや裏付けされたものを、コラムとして書くだけの知識が絶対的に不足している、ゆえ、秋葉原という言葉でごまかしているようにしか見えないのですよね。

「マニアだから」「オタクだから」というのは意味を成さないです。ただ、事実を知った上で、もっとしっかりとした記事を大衆に読んでもらう義務を果たせと思う。そのうえで、「アキバ」「秋葉原」という言葉をリアルに使うのはアリじゃないかなと思います。


余談ですけど、昨日秋葉原に行って、珍しくフィギュアに金を突っ込んでしまった際、コトブキヤのあたりだけだったメイドさんが、完全に中央通りの一本裏の通りにまで客引きに来ていますけど、これって都の条例違反じゃないんでしたっけか。なんか今年に入って、歩きスマホとメイドさんをかわして進むゲームみたいに裏通りが混んでる気がする。

で、それを端から眺める巡回パトカー。こういう感じだと、確かに「アキバ」「秋葉原」は免罪符たる状況なのかな。








おしまい

by aru32to | 2018-10-07 20:33 | 雑談 | Trackback | Comments(0)

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